推定54mg

それでも今日も生きている

頭の中で声がすること

記憶が久々になくなった。酒のせいでもなんでもなく、きっかけすらもう思い出せない。ただその瞬間に何もかもを捨てなくてはいけないような気になって、たぶんほとんど発狂しながら、ちょうど可燃ゴミの日だったので、様々な物を捨てた。捨ててしまった。過去の日記帳と未使用のノート類は残さず捨てた。きっとすぐ死ぬのだから死後に親の目に入るであろう物の中に日記帳なんて絶対に遺しておきたくないと思って捨てた、ノート類もこれからすぐ死ぬ予定だから要らないと判断して捨てた、きちんと見ないで捨てたのでその中に銀行の通帳も入っていたようで、見つからないので、再発行の手続きをしなくてはならない。残高や履歴自体はウェブから確認できるので別に困っていないのだが、たぶん銀行の通帳って無いとダメだよな。たぶん。
頭の中で声がすること、特別なことだとは思っていなかったのだけれど、どうやら違うらしい。
声が俺に向かって「死ぬしかない」「やっぱり死んでおくべきだった」などと言うので苦しくてつらくて仕方なくなって左腕を切った、カッターナイフで傷をつけた、実に久々のことだった。赤い血を見てからやっと落ち着いた、俺はなんも変わってないんだと思って安堵と絶望が一緒に襲ってきて笑いたくなった、笑ったかもしれない、記憶が曖昧でいまいち思い出せない。俺はビビリなので腕を切ったと言っても包帯を巻くほどの深さには切れず、なので、適当にティッシュで血を拭って傷は放置した。冬でよかった。長袖を着ていれば誰からも俺は正常に見えるだろう。
正常。
正常って何なんだろう、まともって何なんだろう。過去の俺が書いている。「まともになりたい」っていうのはマジでめちゃくちゃ切実な祈りなのだ。俺はまともに俺という個体を運営していきたい。まともになりたいという祈りは形状を少し変えて、俺は俺をなるべく穏やかに運用していきたい、と思っている。今は。
腕を切ったので頭の中でくすくす笑う声がする。「あーあ、やっちゃったね」おまえがやれって言ったんだろう。「言ってないよ」。声がする。
手首を一度切ると癖がついてしまって「手首が切りたい」「手首を切らなくては」という欲望や義務感が出てきてしまう。手首を切ること自体はどうでもいいのだが、もしも職場で手首を切りたいと思ってしまったら、そしてそのまま自分の席で手首を切り出したりなんかしたら、そう俺はなんと今は正社員で働いている、過去の俺が焦がれた正社員としてウェブエンジニア?みたいなやつとして働いている、まあそれはどうでもいい、そう、困るのは職場で手首を切ってしまったら絶対にいけない、ということだ。そんなことをしたら隣の席の人は驚くだろう、上司は血相を変えるだろう、そして俺の上司は優しいので俺を空いている会議室なんかに連れ出してくれて落ち着かせてくれるだろう。わかっているんだ。
なぜなら俺は今の職場で既に一度発症したからだ。
そのときの症状が、ぼうっとしてしまって何も手につかない、というものだったので、上司には俺が発症していることはわからなかったようなのだが、「ちょっと会議室に」と連れ出して、「具合が悪いなら帰っていい、無理はしなくていい」と言われ、そのとき上司は少し怒っていて(職場で仕事をしていなかったのだから当然だ)、それから俺は「じゃあすみません、今すぐ帰っていいですか」と言った。それから自分が発狂していることを説明した。病院に行っているのかと訊かれ、否と答え、行ったほうがいいと言われ、言われたので、心療内科へ行った。
いわゆる心の病気とやらを診てくれる医院の門を叩いたことはこれまでに2回ある。俺は自傷をやめたかった。それを相談しに精神科の医院に行ったところ、「うちではそういうのは扱っていない」と言われた。俺はそこの医院には適合しないのだと思って泣いて帰ってから腕を切った。数年後、別の心療内科の医院に行った。そのとき俺はテーブルから缶が落ちるだけで不安と恐怖で泣いてしまっていて、接客業で制服が七分丈だったので腕は切れず代わりに木槌で太腿を殴っていた、それをやめたかったので医院へ行ったのだが、何かの数値の検査をされ、「君は正常だよ」と言われた。俺が正常なら俺がなんでこんなに苦しいのか説明をしてほしかった。俺はわかりましたと言って帰るしかなかった。
俺は正常なんだ、と、その2回目に行った医院で言われたので、俺は俺がまともなのにまともじゃないんだと思っていた。俺は俺を正常と判断していた。でも手首を切りたかったし死にたかった。俺は。俺は。俺は。どうして。
2度、診てもらえなかった経験があるので病院へ行っても無駄だと思っていた。なので、ゆうメンタルクリニックを選んだ。ウェブでマンガを読んでいて、ここならきっと俺でも診てもらえるだろうと思った。俺は正常で、でも診てもらえるだろうと。そしてそこでバウムテストと医者との話、カウンセリングを受けた。医者とカウンセラーは別の人だった。カウンセリングは30分で3000円ほどかかり、話をしても特に益体はないなと思ったので、初回以降は受けていない。頭の中の声との対話のほうがいい、とそのときは判断したのだ。頭の中で声がすることを、そのときは別に言わなかった。そのときに医者に話した内容と症状については「電車の中でつらいことがあり、以後、電車に乗ろうとすると足が震える、電車に乗ると不安で涙が出てくる、1時間半ほど電車に乗らなくては職場に着かないので電車に乗れなくては困る。また、寝る際に目を閉じるとつらい記憶が浮かんできてしまい苦しくて眠れない」というものだったので、適応障害という診断書を書いてもらい、3ヶ月の休職期間を経た。処方薬のおかげで眠れるようになり不安は薄れ、金は無かったが親に頼み込み金を借りて引越しをして、3ヶ月後、どうにか職場復帰できた。職場が港区にあるので電車を乗らずに通勤するのは今の給料では無理だった。しかし電車に乗る時間は30分ほどで住むような場所まで引っ越せた(乗り換えを含むので通勤時間自体は45分ほどある。それでも前の半分だ!)。そう、それが、ちょうど1年前の話だ。2016年の12月に俺は鮨詰めの満員電車の中で一人のサラリーマンが俺に対し「なんだよ」と吐き捨てるように言い、俺はそれに向かって「俺の何が不満なんだ」と問いかけてしまい、そうそれは失態だった、俺は相手に何も反論できなかった、相手はずっと「おまえがおかしい、おまえがおかしい、おまえがおかしい、おまえが悪いに決まっている、おまえはおまえが悪いのにおまえが悪いことにさえ気づかない、おまえの親はおまえの育て方を間違えた、おまえの親もバカだ」ということを言い続けた。俺はそのとき13時間勤務を終えたあとだったので完全に疲れ切っていて判断ミスをしていた。俺はそいつに向かって何も訊ねてはいけなかった。そいつの言葉に逆上して俺はそいつを殴った。そいつは嬉しそうに笑って「殴ったな!?殴ったな!見ましたかみなさん、こいつは俺を殴りましたよ!これは傷害罪です、暴力です!さあ警察に行くぞ!」と言った。最高に楽しそうだった。俺はそのときカッターナイフを持ち歩いていなかったのを、自分のミスだと思った。手首を切りたくてしょうがなかった。相手の言うなにもかもは正しかったように思えた。相手が俺に向かって「死ね」と言わないことだけが意外だった。それ以外は何もかもすべて、いつも頭の中で聞こえてくる声と、内容が合致していたからだ。ミスをした。俺は完全なミスをした。俺は犯罪者になったのだ。相手の言葉に俺の心はざくざくと傷つけられたがそれは目に見えない、目に見えない暴力は誰にも証明できないけれど俺の振るった暴力は皆々様の目に留まった、俺は上機嫌なそいつと共に電車を降りて警察に行かなくてはならなかった、俺は暴力を振るってしまったことをミスだと思った、自分の手首を切るべきだと思った、でもそのときカッターナイフを持っていなかったのでそれもミスだった、この電車に乗ったことも13時間勤務をしたことも何もかもがミスだと思った、今の会社に入ったことはミスではない、会社に対する不満は(残業が常態化しているという欠点はあるが)特になかった、俺は犯罪者になったのだと思うと哀しくて涙が出た、俺の親は犯罪者の親になってしまってそれはとてもかわいそうなことに思えた、高校のときに同級生が殺人を犯したことを思い出した、学校に報道陣が押し寄せてきたことを思い出した、俺は傷害罪の重さを知らなくて、そのとき、俺はもうきっと今の会社では働けないんだろうと思った、それだけは阻止しなくてはならなかった、実際のところはどうなんだろう、わからない、わからない、わからない、でもとにかく俺は今の会社に縋るしかなかったしそれが俺の唯一の蜘蛛の糸だと思っていたのでどうにか警察に行くのを避けなくてはならなかった、俺はそいつの隣を歩きながら(俺の暴力はそいつに全く効いていなくてそれも哀しかった)、一つの名案を思いついたのでそれを実行した。階段を降りていた、そいつの隣を歩きながら、なので、そいつの身体に触れてから、自分で階段から飛び降りた。痛かった。頭を打った、俺は叫んだ「階段を突き落とされた!さっき俺がそいつを殴ったから、仕返しに階段から突き落とされた!」と。そいつは「やってねえよ!」と声を上げたが俺は叫んだ、叫び続けた、周囲が俺たちを遠巻きに見ていた、俺は叫ぶ、叫ぶ、叫び続けた、その先にあるものが何なのかなんてわからなかったけれどとにかく警察に行くのを阻止しなくてはならなかった、逃げられるような瞬足は俺にはなかった、むしろ俺は足が遅いほうなので逃げてもすぐに捕まる自信があった、なので俺は叫ぶしかなかった、そのとき俺の中で時間は止まっていた、その間に次の手を考えなければならなかったのに何も思いつかなかったのでまた哀しくて涙が出た、頭の中がぐるぐるしていて目からは涙がどばどば溢れてきて俺は死にたくて仕方なかった、過去に死にたいと思った瞬間の記憶すべてが押し寄せてきて俺を責め立てた、やっぱりあのとき死ぬべきだった、俺はこの電車に乗ってはいけなかった、俺は暴力を振るうのではなく手首を切るべきだった、俺は、俺は、俺はそもそも生まれてくるべきじゃなかった、そう、さっきそいつの言ったとおり俺の親は、ちがうんだ、俺の親は間違ってない、俺の親は何も間違ってなくてただただ俺が俺だけが悪い、俺は俺の母親のことを考えた、女手一つで俺を育ててくれた親だった、俺の親が犯罪者の親になってしまうことだけがとてもかわいそうで仕方なかった、俺は飛び降りて死んでしまいたかった中学の時のことを思い出していた、一番死にたかった時期だった、でもそのとき、俺は俺の親を自殺者の親にしたくなかったので飛び降りなかった、俺は正直今でも自分の親のことをどう扱っていいのかわからない、好きとか嫌いとかは特になくて俺の親は俺の親であってそれはかわいそうだと思う、俺じゃないもっと出来の良い生き物を産めていればよかったのになと思う、過去俺は何度も母親を怒らせた、それは俺が正しくない行いをするから怒るのだった、暴力は振るわれなかった。俺が正しくない行いをしたとき、俺の親は俺の存在を無視した。俺はテレビを見る母親に向かって何度も何度も謝った。ごめんなさい。ごめんなさいおかあさん。ごめんさい。ごめんなさい。ごめんなさい。一度だけ俺の親は暴力を振るった。それの向き先は俺ではなく俺の部屋の扉だった。だから実家に帰ると今でもその穴の空いた扉がある。花柄のテープで穴が隠されているのだがそれは笑っちゃうくらい全然何も隠せていない。
俺の中の時間が止まっているのに目まぐるしく動いていてつまりは俺が混乱している間にも俺以外の世界は一律に時を刻んでいてすぐに誰かが読んでくれて駅員と警察が三人だか五人だかぐらいやってきた、そのことに俺は驚いた、そういう存在が来ることを知らなかったのでびっくりして頭が一瞬白くなる、駅員は何があったのかは俺には訊かず周囲に状況を確認し、俺と相手とを見比べて相手が「そいつが殴ってきたんだ」と言う、俺は「階段から突き飛ばされた」と嘘を主張、相手は、俺が殴った相手は、あんなにも警察に行くことを喜んでいたのに、駅員と警察がやってきてからは帰りたそうにしていて、それがなんだか意外だった、駅員はそいつに向かって「帰っていい」と言った、電車が来てそいつは去っていった、俺は笑っていた、おかしくて笑った、笑うしかなかった、泣きながら笑っていた。警察に行かなくてはならなかった。俺は俺が暴力を振るったので犯罪者だ、犯罪者になってしまった、犯罪者にはなりたくなかった。鞄のファスナーが開いていたので鞄の中身がそこらじゅうに散らばっていた、それらを拾うよう駅員が指示した、駅員は優しかった、「お酒飲んでる?」と訊かれ、金曜23時すぎの電車なのでそういう客もいるのだろうなと思った、俺は13時間働いてがんばってがんばってがんばって仕事をして1滴も酒を飲まずに電車に乗ったのにそんな質問をされたことが哀しかった、泣きながら首を横に振った、何も報われないと思った、13時間じゃ足りないと思った、俺はもっともっともっと働かなければならないと思った、36時間くらい働いたなら誰か俺を労ってくれただろうか。俺をかわいそうがってくれただろうか。でも悪いのは俺だった。俺がミスをした。俺がそいつを殴った。それだけの話。
落ち着かない俺を警察が警察署に連れてってくれた、調書も何も書く様子が無かったので俺は震えながら俺が犯罪者だから早く裁いてほしいと言った、裁かれるとどうなるんだろう会社にいられなくなるんですかね、と言った、警察は穏やかな声で、傷害罪は相手からの申告が無ければ発生しないことと、そしてその相手はもう帰っているので、俺が犯罪者にはならないことを説明してくれた。警察署のパイプ椅子で俺は安堵した。でも俺は俺を裁いてくれる存在が必要だと思った。申告がないので罪がないにしろ、俺は見ず知らずの相手に暴力を振るった。俺はそのこともショックだった。人を殴っても相手が吹っ飛んだりしなかったこと、非力な俺の力では大人一人傷つけられないこと、そういうこと。「電車に乗れる?」と警察が訊いてくれて俺は首を横に振った、俺がいる警察署の最寄り駅の場所に住んでいる友人がいたのでそいつに連絡した、その友人は実家住みで車を所有しているのを俺は知っていたので、車で俺の家まで送ってほしい旨を伝えた。友人は承諾してくれた。友人に発狂している姿を見られるのは恥ずかしかったが背に腹は変えられない、それを見られて幻滅されたらそれはそれで仕方ないと思った、どちらにせよ悪いのは俺だし仕方ない、とにかくそのときは家に帰らなくてはならなかった。友人は俺が警察にいるのをまず心配してくれて、警察が状況を説明、俺は泣きながら友人に向かって何度も謝った、夜遅くにごめんな、ここから俺の家まで車で40分くらいかかるのにごめんな、こんな姿を見せてごめんなと謝った。そいつは自動販売機であったかい何かを買って俺に渡してくれた。「いいよ」と言った。すごくいいやつだと思った。
車の中は快適で、鮨詰めの満員電車と較べると天国のように思えた。俺はそのとき友人と話をしたのかわからない。したのかもしれないししていないのかもしれなかった。結論から言うと、俺とその友人は、今でも友人関係にある。見知らぬ人間に暴力を振るった挙句に自作自演の飛び降り劇を演じて発狂して泣きじゃくる俺の惨めな姿を見ても、そいつは、俺と変わらず友人でいてくれた。
それで、そう、なんだっけな、そうだ、俺の頭の中の声の話。上で書いた通りの経緯で俺は3ヶ月間の休職、その間に心療内科を受診し、引越しを行い、しばらくは心療内科に通っていたのだが、8月くらいか、その友人と遊ぶ予定を立てるときに「その日は病院に行く予定がある」と言ったことがあり、隔週土曜日に心療内科へ通っていることを説明、それに対し友人が「まだ行ってるんだ」と言った。俺はそのときとても調子がよかった。人生で一番快適だった。何せ、「死にたい」と思うことがなかったのだ!「死にたい」という気持ちはほとんど癖みたいになっていて、接客業をしているときなんかは楽しくもないのに笑っている自分を俯瞰して自分がばらばらになるような気がして休憩中にふと「あ、コーヒー飲みたい」と思うような気軽さで「あ、死にたい」と思うようになっていた。それが、その気持ちが、全然まったくこれっぽっちも浮かんでいない時期だった。薬は偉大だと思った。俺は心療内科に通って、隔週、そう、もう落ち着いていたので(引越しをして沿線を変えただけで随分気が楽になった)、いつも「調子はどうですか」「落ち着いています」「そうですか、いつもの薬を出しておきますね」のやり取りだけだったので、もう行かなくてもいいかもしれない、と思った、のだ。
まあ結果から言えばそれは間違い、8月、そう、それが8月のことか。もっと前だと思っていた、9月10月11月、俺は通院なしでも電車に乗れていい感じで仕事もできていた、12月、冬季鬱とかあるじゃん、気分が落ち込むことが増えてくる、2018年1月、朝起きて何もする気が起きなくなる。起きた瞬間に自分の中身が空っぽになっていて、気力が何もみなぎってこない。目が醒めて身体を起こす、その先にやるべきことはわかっているのにやる気が起きない、やる気などなくても身体を動かせば案外なんとかなることもあるが(健康な時とかそうだ、「仕事行くのだるいな」と思いつつも起き上がって顔を洗えば「よし、行くか」となったりする)、そのときはほんとうに身体を動かすことさえ億劫だった。会社に連絡を入れ休む、休む、休む。休みが続く。友人と会う予定を当日キャンセルすることが2回。2回目のときに、友人が電話先で俺に何かを言った。それを、今もう、覚えていない。そのときの衝動だけを覚えている。何もかもを捨てなくてはならないと思った。俺は俺の何もかもを捨てなくてはならない。こんな俺を、俺自身を捨ててしまわなくてはならないと思った。衝動だけがあったので物を捨てた、とにかく捨てた、死にたいという気持ちがあった、死にたいという気持ちがあった、死ななければならないという義務感があった、頭の中で声がした、「切りなよ」「切りなよ」「半袖を着なくてもいいし」「ねえ死なないの?」「死んじゃいなよ」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」大合唱だった、その声を止めるために腕を切った、赤い血があった、頭の中の声が「あーあ」と笑う、「やっちゃったね」「やっちゃったね」やっちゃったね。
それが確か、日曜日の話。月曜日、会社を休む。火曜日、どうにか心療内科へ行き、冒頭に戻る。
心療内科で、以前受信していた時の症状はもう落ち着いていることと、それとは全くの別件で自傷をしてしまったこと、元々自傷癖があることを説明し、それを会社で行いたくないので、薬を処方してくれるよう頼んだ。心療内科で話をする、医者の先生が優しく聞いてくれる、後ろでアシスタントみたいな人が猛スピードでパソコンのキーボードを打つ(俺の話の内容とかを記録しといてくれてるんだろう)、今回の自傷のきっかけを訊かれ、それはもはやぼんやりとしか思い出せず「なんだったか……内容は覚えてないんですけど……友人に何かを言われて……」そこまで先生はうんうんと聞いていた、「そして、頭の中で声がして、」と説明した瞬間、ぴくりと先生の反応が変わった。「それはどんな声?頭の外側?内側?」「えっ……内側です」「そう。それはよくないわね」先生が言うので俺は驚いた。頭の内側の声って、みんなにあるものじゃなかったのか。
薬を処方してもらったので適切に眠れる。薬を処方され、きちんと飲んでいる。でもメンタルがゴミみたいになっているのがわかる。改善されていない、という意味じゃなくて、なんていうかもう、1回ダメになると、癖になるんだろうな、たぶん。薬を飲んでいるからどうにか今のところまたきちんと会社に通うことができているけれど、これ、心療内科に行っていなかったら、今も会社に行けていない。そして会社に行けないということは金を得られないということであり、金を得られないことには家賃も払えないし光熱費も払えないしインターネットだってできない。何をするにもまず働かなければならない、それは別に、そのこと自体はそこまで嫌じゃない。ベーシックインカムの導入を心待ちにしているけれど働いて外に出るのは楽しい、基本的には。今のところ。正常な状態であれば。
それで、なんだっけな、なんでそもそも記事を書き始めたんだっけ、ああそうだ、久々に昔の俺の鬱ブログを読み返そうと思って読み返して、その中で

人格が幾つもある、というほどの、ものではないけど、たとえば「夕食はカレーにしよう」と決めたとき、別の声が「本当にカレーでいいのか?」「他にもっといい夕食があるんじゃないのか?」「カレーは糖質が高いぞ」とか言ってくると何もできなくなる。そういうときに「うるせえ俺はカレーが食いてえんだ!誰がなんと言おうとカレーを作って食う!」と反論できると最高だね。

と書いているところがあったので、なあ過去の俺、どうやら頭の中で幾つも声がするのは普通じゃないっぽいぜ、と思って、そもそも反論する必要なんかないみたいだ、って、可笑しくなって記事を書き始めたのだった。
ちょっと書きたいことが幾つかあるので何回かまた記事を書いて、書きたいことがなくなったらこのブログの更新はぱたっと止まると思う。この説明、誰にしているんだろうな。ありがたいことに俺のブログを登録してくれた3人に向かってだろうか?その3人、まだ生きてんのかな。その人たちも俺みたいに生きづらいのに生きてる人たちだろ。もしくは俺を見て嘲笑うか、どっちかだ。このブログはどうせ誰にも読まれはしない。益体はない、それでいい。俺はぼろぼろ泣きながらこれを書いた、この後にこれを読み返すときの俺はまるで他人が書いた文章を読むかのようにそれを読む、俺は、俺を、日ごとにまるで他人のように感じる。今日の俺と昨日の俺と一昨日の俺、一人の人間として見ると気分の浮き沈みが激しすぎて、まるで別々の人間みたいだ、と。