推定54mg

それでも今日も生きている

淋しさへの対処法

世界中の誰もが俺を必要としていないという錯覚に陥る。その感覚は奈落に似ていて、その妄想に取り憑かれてしまったが最後、待っているのは暗く黒い絶望の底ばかりだ。どろどろしたタールみたいなきったないものが俺の足元からせり上がってきて、肩を叩いて、耳元に囁きかける。「死んだほうがいい」。そうだな、俺も、そう思う。安心して笑う。満場一致の大見解だ。俺は死んだほうがいいと俺も思うし俺以外の誰もが思っている。俺なんていてもいなくても一緒だからいなくていい、存在する必要がない、存在していると金がかかるし金を稼ぐのは面倒臭いし働く才能や社会に適合するための能力がないから、ないから、ない、から、死んだほうがいい。知っている。わかっている。毎日きちんとわかっている。

誰かに必要とされたくて誰かと遊びに行ったりメシを食いに行ったりただそれだけでいいんだけどその錯覚に陥っているときにはとにかく負の思考が脳を支配していて「俺が誘っても迷惑なんじゃないか?」という疑念が拭えない、拭えない、拭えない。数少ない友人のTwitterを見てその友人が別の友人と楽しそうにメシに行っている様子なんかを確認してそっとタブを閉じる。俺は一人なのだと確かめる。だって俺が友人を必要としていないから友人だって俺を必要としなくて自分から動こうとしないといけないとかそんなきれいごとはもうたくさんでわかっていてわかりきっていてそれでもやらないんだから結局わかっていないだけ、わかっていても意味はない、人付き合いが怖い、人と交流して傷つくのが怖いだけだね、臆病。ガキか?ガキだよ。

生まれてきたことを無条件に肯定されたい。俺の生を肯定されたい。我侭だ。そんなことは許されない。世界中のどの人類にそれが適用されても俺には適用されない。俺は。俺は。そうやって俺は俺自身を特別扱いしたいだけか?馬鹿げている。俺だって。俺だって。俺だって、みんなと、おなじ、にんげん、うそ。うそだね。みんなと同じだったらもう少しまともに社会生活を送れているはずだ。じゃあ。いや。それは関係ない。ちがう。いま払拭したいのは俺の淋しさだ。俺が。誰かといたいと。望んで。でもそれが。叶わないこと。

それはもうLANケーブルをぶっこぬいてスマホの電源を切るしかない。現実世界という肉体で触れることのできる世界の輪郭を確かめて、この首都東京、郊外、そこのアパートメントに一人暮らしをするこの俺、俺の、独身彼女なし、友人、極少、そういう、俺を。確かめてまた死にたい。