推定54mg

それでも今日も生きている

心の声とか本当の自分とか何を言ってるんだ

「誰も本当の私をわかってくれない」という言葉がある。よくある。しょうもないくらいよく見かける。本当の私って何なんだ?嘘偽りのない自分のことか?だったらそこで責めるべきは「わかってくれない」他人じゃなくて、本当の自分とやらを周囲に見せない自分自身だろう。「本当の自分なんて嫌われるに違いない」?だったらそれは嫌われるような所業をしている自分が悪いんだろ。

本当の自分って何なんだ?人間は人間としての知能があるから服を着ているしそこらへんで排泄をしたりしない排泄物を垂れ流していても許されるのは動物だけだ。衣服なんて人間の本質を表しはしないけれど、服を着ずに街を歩いている人間がヤバイことはすぐにわかる。わいせつ物陳列罪とかでつかまるだろう。そういう法律がある(はずだ。詳しくはない)から、捕まる。人間は法律を破ると捕まる。社会的動物であるということは、予め社会で決められたルールを遵守するということだ。だから本当の自分とかいうやつが全裸で街を歩きたがっていても、それは許されない。法律によって許されない。同様に不倫とかなんかそういうやつもだめだし暴力や薬物もだめだ。人間って健全だね。

心の声に気づけない、とかの悩みもよく見かける。主に親や教師が悩むみたいだ。子どもの心の声に気づけないらしい。心の声って何だ?心臓は喋らない。とすると、脳の声ってことだろうか。脳も声を発しない。声を発するのは口だけだ。上の口は嫌がっても下の口は正直だぜなんていう下ネタがここで必要とされていないことぐらいハッキリわかんだね。とはいえまあ、わかってるよ、俺だって。口から発される言葉がすべてではないってことだろ。とはいえ合コンで女子が髪の毛をいじり始めたらイコールセックスができるとかそういうことじゃない。肉体言語とも違うな。まあ「言葉にしなくてもわかってよ!バカ!」みたいなことだろう。それもちがう。いやまあわかる。わかってるよ。みんなわかってるだろ。だから言わなくてもいい、と思いこむと、結果何も伝わらない。ディスコミュニケーション。心の声に気づけないというのはどういうことだろうな、まあ、思春期は大人に言えないことの一つや二つや三つや四つあって当たり前で、だから親や大人は子どもとコミュニケーションを取れるなんて思い込まないほうがいいんだろう。だって今年入ってきた新入社員さえ別次元のイキモノみたいに思って蔑んで「これだからゆとりは……」とか言うような社会なんだからゆとりより下の下の世代どもとどうにか通じ合えるなんて幻想も甚だしいだろう。おまえとそいつはわかりあえないよ。永遠にね。だから問題なのは心の声に気づけないとかそういうことじゃなくて、せめて会話で取るべきコミュニケーションさえ取れていないこと。なまじ親は子どもが言語を習得する前からそいつとコミュニケーションを取ってるから勘違いしちまうんだね。言語を習得したら言語でのコミュニケーションに終始するべきだよ。就活にまで親がついてくるような子どもになってほしいわけでなければさあ。子どもと親はあくまで別のイキモノなんだから。かつて同じイキモノであった母親と子どもでさえ、子どもが言語を習得したら、もう、完全に別のイキモノだと思ったほうがいい。生まれたての子どもは母親と引き離すと死にやすいらしいね。すごいね。生命の神秘。

誰かと通じ合いたいという切実な祈りがある。俺の中にもあってたぶん他のみんなたちにもあるだろう。それはなんだろうな、野性的な本能的な欲望なんだろうか。それとも極めて近代的な社会システムの中で造られた、造り出された嘘の欲望なんだろうか。お見合い会社あたりが「独りで淋しくない?」とかいう煽りみたいな広告を出してくると腹が立つ。結婚すなわちハッピーみたいな風潮はやめろ。そうとは限らないだろ。必ずメリットとデメリットを提示しろ、話はそれからだ。

子どもは皆おしなべて愛情に飢えていて子どもの暴力や非行はギュッと抱きしめてやれば解決するのですとか語っている専門家は今すぐMRIスキャンをしてこい。そんなのは頭をポンポンすれば女子は全員オチると思っているブサメンと同レベルの思考だ。それをやっていいのはイケメンだけであり、なおかつ対象の相手はある程度仲の良い女に限られる。あらゆる物事には向き不向きがある。

言語によるコミュニケーションには限界がある。それを踏まえた上で精一杯言語によるコミュニケーションを取らなければならない。人間は皮膚と皮膚とで断絶されている。誰も俺にはなれなくて俺は誰にもなれない。しんどい。エビスビールがうまい。以上だ。