推定54mg

それでも今日も生きている

世の中は自分のための装置じゃない

蕎麦アレルギー持ちの人間が蕎麦屋に行って憤慨していたりミニマリストが家電量販店に行って疲弊していたりするわけでそれってまあ親切に言葉を選んで言えば「マゾゲー」ってやつなんだろうけど歯に衣着せずに言えば「バカ」だ。日焼け止めを塗らずにインド旅行に行って皮膚が真っ赤になるようなもんだろう。少し考えればわかることだろ、っていうことだ。

マゾゲーをやっていいのはマゾだけであり、そしてマゾヒストのマゾ行為は他人に迷惑を掛けてはならないことを社会原則としなくてはならない。わかりやすく言うと露出狂が露出して一人で夜道を歩いてゾクゾクするのは勝手なんだがそれを他人に見られちゃうと犯罪なんだよっていうことだ。違う気がする。電車で痴漢AV撮影してて捕まった件とかもあったなあ。貸切バスでやりましょう。

社会で生きる才能がとにかくなくてだからもう社会でなんか生きたくないんだけど社会でしか生きてはいけない。ロビンソン・クルーソーにはなれないし十五少年漂流記も蝿の王も瓶詰地獄も役には立たない。「ここで生きる意味ってあんのかな?」って思いながら仕事場にいるのがしんどい、安心しろ来月から無職だ、就職活動をしよう。仕事場にいると全然まったく呂律が回らなくなる。つうかこれ吃音なんじゃないか?口から言葉がうまく出ない。指先はあまりにも雄弁だからついつい毎日キーボードを叩いてしまう。口という出力デバイスをうまく使いこなせない。もう声帯を潰したい。声なんか時代遅れの伝達方法だ。テレパシーで直接語りかけよう。

世の中が俺に優しくない、なんて、そんなことを考えるたびに、世の中がまるで俺自身のために存在しているかのように錯覚している自分に気づいて愕然とする。思い上がりも甚だしい。世の中と、俺と、先にできていたのは、世の中のほうだ。俺はあとからこの世界に生まれてきた。世界。世界というものが、まずあって、そこに、俺が、追加させてもらったのだ。だから俺は世界にとってあまりにも些事だ。俺が死んでも生きても何も変わらない。変わりない。だから俺はいつだって安心して死んでいいのだ。それでもまだなお無様に生きている。必要とされもしないのに生きている。誰にも必要とされないならせめて俺くらいは俺を必要だと思ってやりたい。クソみたいなクズみたいなおまえなんかでも俺には必要なんだよとか言って抱きしめてやりたい、なんて、嘘だ。唾を吐き捨てよう。俺がこの世の中で一番俺自身を不要だと思っている。クソでクズで何の価値もなくて生きている意味なんてあるはずがない。安心しろよ、俺が一番、世界中の誰よりも、おまえのことが嫌いだよ。はは。笑うしかないね。笑おう。愉快だ。

すれ違う他人の、まっさらな手首や腕を見ると落ち着かない気分になる。信じられない、と思う。だって。俺はついさっきも手首が切りたくて仕方なかったのに。みんなそんなふうにならないんだろうか。信じがたい。この世のみんながリストカッターじゃないと信じられない。世界を。俺は。生きづらい。この世はとにかく生きづらい。俺にとって都合が悪すぎる、から、生まれてくる時代が悪かったね?ちがう、俺が、俺の頭が悪いだけだ。なんと聡明な自罰傾向。

何もかもは俺のためではなくて俺は誰のためにもなれない。俺の臓器を1つずつ誰かのために提供させてほしい。軽くなった俺の身体が火葬場で燃やされて、残った骨は燃えるゴミの日に捨ててほしい。誰か。